温泉の歴史(近代)※明治時代~昭和初期
2015年12月11日 公開
前回は近世の温泉について解説いたしました。
この時代は、大名や武士階級だけでなく、農民や町民など一般庶民も温泉を利用していたことがお分かり戴けたと思います。
今回は「温泉の歴史-4-」として、近代の温泉について簡単に取り上げてみましょう。
1868年、明治維新により大政奉還が実施され、300年にわたる徳川幕藩体制が終焉を迎えます。明治期は、「文明開化」と称されるように、欧米からの文化や技術が数多く輸入され、日本の近代化が急激に進展する時代で、史学的に近代と呼ばれています。
西洋医学も正式にはこの時代にドイツから輸入され、ドイツ人医師のベルツ博士が東京帝国大学の教授として招聘されました。ベルツ博士は、ドイツの温泉医学も日本に伝えました。群馬県の草津温泉や伊香保温泉、神奈川県の箱根温泉などでベルツは温泉医学や温泉地づくりの指導をしています。このようなことから、ベルツ博士は「我が国の温泉医学の父」と称されているのです。
明治時代は、行政的にも温泉が取りあげられるようになってきました。我が国ではじめて温泉の全国調査が実施され、明治19年(1886年)に内務省衛生局から「日本鉱泉誌」が発行されました。
また明治時代は、日本の資本主義経済が急激に発展した時期でもあります。
それに合わせて、日本の温泉地も湯治場から保養の場・慰安の場へと発展していきます。また、多各地で温泉の新規掘削などの温泉開発が進められ、静岡県の熱海温泉や大分県の別府温泉、神奈川県の箱根強羅温泉などが大きく発展していくことになります。このような温泉の新規開発を契機に、それぞれの宿に温泉が引かれはじめ、いわゆる内湯を造るつくるケースが増えはじめてきました。
大正期に入ると、熱海温泉や箱根温泉などでは、別荘地が開発され保養地としての機能も併せ持つ温泉地が現れてきます。しかし、まだ多くの温泉地は徳川時代からの湯治場として残されていました。
昭和期に入ると、鉄道の整備が大きく進展し、省線(国鉄)に加え私鉄の整備も進められました。このような鉄道網の整備で、都市部から温泉地への交通の利便性が格段にアップしたため、多く人々が温泉地を訪れるようになってきました。この時期に大きく発展した温泉地として、上越線沿いの水上温泉、高山本線沿いの下呂温泉、小田急線の整備で箱根温泉、東武鉄道沿いの鬼怒川温泉なが挙げられます。
その後、第二次世界大戦に突入します。戦時中は多くの温泉地で疎開児童を受け入れたり、傷病兵の療養の場ともなりました。
このようなことから、近代になると温泉の開発が各地で進められ、鉄道網の整備に合わせて多くの温泉地が発展してきたことがお分かり戴けと思います。