温泉の歴史(中世)※鎌倉時代~安土桃山時代
2015年12月11日 公開前回は「古代の温泉」について解説いたしました。温泉は古くから我々人間に利用されてきたことがお分かり戴けたと思います。今回は温泉の歴史-2-として、「中世の温泉」について簡単に取り上げてみましょう。
源頼朝が鎌倉に幕府を開き、日本史的に見ると古代から中世へと変遷をたどります。政治の中心が京都から関東に移った鎌倉時代以降は、関東・東海・東北・甲信越などの多数の温泉地が文献上に登場してきます。また、史実としても多くの温泉地の様子などが伝えられています。
鎌倉時代には、「伊豆の走湯」と呼ばれていた熱海温泉・伊豆山温泉(静岡県)では、武士や高僧などが訪れた記録が残されています。
また、上州の伊香保温泉(群馬県)でも、鎌倉時代に湯宿ができたと伝えられています。同じく上州の草津温泉(群馬県)には、高僧や歌人などが訪れた記録が残されています。室町時代の禅僧・歌人で京都相国寺の万里集九は『梅花無尽蔵』のなかで草津温泉(群馬県)、有馬温泉(兵庫県)、下呂温泉(岐阜県)を名泉と讃えています。のちに江戸幕府に仕えた儒学者の林羅山もこれに追随したため、「日本三名泉」というと草津、有馬、下呂を指すようになりました。
さて、戦国時代になると、多くの温泉地に傷兵を温泉で治療したという記録が残されています。特に、甲信越地方には、武田信玄や真田幸村などの戦国武将の「隠し湯」と呼ばれる温泉地が伝えられています。
一方、古代の文献に登場していた西の地方の温泉地として、豊後の別府温泉郷(大分県)は、鎌倉中期の僧・一遍上人が鉄輪を訪れ、温泉を開き、病いの人々を湯治したと伝えられています。
また、有馬温泉(兵庫県)では、大洪水で壊滅的な打撃を受けましたが、仁西上人の手によって復興されたと伝えられています。その際、12の坊舎が造られ、今なお「○○坊」という「坊」の名の付く宿が残されています。有馬温泉では、仁西上人や奈良時代に温泉を復興したと伝えられる僧行基に感謝して、毎年1月3日に「入初式」(いりぞめしき)という行事が江戸時代初期から300年以上続けられています。なお、中世の有馬温泉にはすでに湯屋、寺社、宿屋が存在していたことが貴族・僧侶の記録により明らかになっています。近世初期の織豊時代には豊臣秀吉がたびたび訪れており、発掘調査で秀吉の浴場跡なども発見されています。
このように、中世の温泉地の多くは、武将や武士、そして僧などが盛んに利用したことによって、湯治場として発展したと考えられています。