沿革
日本温泉協会は温泉の研究、温泉知識の普及、温泉資源の保護、温泉利用施設の改善及び温泉利用の適正化をはかり、国民保健の増進と観光資源の活用に寄与することを目的として、昭和4(1929)年12月4日設立され、同6(1930)年3月17日社団法人の認可を受けたわが国唯一の温泉界統合団体です。また公益法人制度改革により平成24(2012)年11月11日一般社団法人となりました。以下、日本温泉協会の沿革を紹介します。
沿革
令 和 | |
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元年 | 6/25創立90周年・令和元年度会員総会を鹿児島県指宿温泉で開催、日本の温泉文化をユネスコ無形文化遺産登録へ向けて活動することを満場一致で決議。6/28「温泉検定テキスト」初版発行。10/25組織名称の英語表記「JAPAN ONSEN ASSOCIATION」の商標を取得。12/8第1回温泉名人認定試験「温泉検定」を川村学園女子大学目白キャンパスで実施。 |
平 成 | |
31年 | 4/2~4/5第60回「旅と温泉展」をKITTE地下1階で開催。 |
30年 | 6/26平成30年度会員総会を鳥取県皆生温泉で開催、第11代会長に笹本森雄氏が就任。12/26「お風呂でのエチケット」ポスター制作販売。 |
29年 | 6/20平成29年度会員総会を青森県酸ヶ湯温泉で開催。 |
27年 | 機関誌「温泉」が全面刷新。B5判白黒刷りから、A4判オールカラー刷りになった。 |
26年 | 女性部委員会が新設され、初代委員長に福島県磐梯熱海温泉の小口潔子氏が就任。温泉塾セミナーを定期的に開催。 |
25年 | 廣川允彦会長が3月に急逝。第10代会長に学術部幹事委員の大山正雄氏が就任。8月事務局が全国旅館会館(東京都千代田区)に移転。 |
24年 | 地熱発電開発の活発化を危惧し「『無秩序な地熱開発に反対』する要望書」を環境省、観光庁、資源エネルギー庁に提出。同年11月社団法人から一般社団法人への移行認可を取得。 |
23年 | 滝多賀男会長が勇退し、第9代会長に栃木県那須温泉の廣川允彦氏が就任。また同年EMTECで廣川允彦会長が同連合の副会長に就任。廣川会長の呼びかけにより、道県単位の温泉協会との連絡会議を開催。 |
21年 | 「日本温泉協会」および「JAPANSPAASSOCIATION」の商標を取得。創立80周年記念事業により「国際温泉会議ならびに第62期国際温泉気候連合大会」、「創立80周年記念式典」を神奈川県横浜市で開催。またFEMTEC2009総会を同県箱根町で、視察研修を群馬県草津町で実施。 |
20年 | 観光庁が設置され、観光行政が国土交通省から同庁に移管。温泉行政を司る環境省とともに、本会の主務官庁は環境省と観光庁となる。 |
17年 | 天然温泉表示制度が2ヵ年のテスト期間を経て、この間に得られた知見をもとに新たな天然温泉表示看板の発行を開始。また参議院議員の加藤修一氏を顧問に推戴。 |
15年 | 事務局を置いていた国際観光会館(東京都千代田区)の老朽化により、八重洲龍名館ビル(東京都中央区)に移転。また温泉の情報公開を主眼とする新たな天然温泉表示制度の導入に向け、2年間のテスト期間を設定し試験的に運用開始。また木暮金太夫会長が勇退し、第8代会長に岐阜県下呂温泉の滝多賀男氏が就任。また同年11月、ハンガリーで開催されたFEMTEC総会で滝多賀男会長が同連合の副会長に就任。 |
13年 | 省庁再編により本会の主務官庁が環境省と国土交通省となる。 |
11年 | 創立70周年記念式典を東京で開催。この式典にあわせ記念事業で「日本温泉協会70周年記念誌」を刊行、ホームページ「温泉名人」を開設。また参議院議員の中曽根弘文氏と山本一太氏を顧問に推戴。 |
10年 | 「温泉名人」の商標を取得。また環境庁主催「温泉法施行50周年記念式典」において、本会の多年にわたる温泉の保護と適正利用についての普及啓発活動が温泉行政の推進に貢献したとして、環境庁長官表彰を受賞。 |
9年 | フランスでの総会で名称をFederation Mondiale du Thermalisme et du Climatisme と改め、略称がFITECからFEMTECと改称される。 |
8年 | 保養療養部会を設立。第1回「温泉健康セミナー」を東京で開催。また同年10月、ハンガリーで開催されたFITEC総会で木暮金太夫会長が同連合の副会長に就任。 |
7年 | 温泉の保護を目的とした環境庁委託調査や、温泉の生成年代を推定するトリチウム調査の受託を開始。 |
5年 | 石島惟秀会長が勇退し顧問に就任。第7代会長に群馬県伊香保温泉の木暮金太夫氏を選任。 |
4年 | 雑誌『温泉』の商標を取得。 |
3年 | 社団法人韓国温泉協会と友好提携を締結。 |
元年 | 大島良雄会長が勇退し名誉会長に就任。第6代会長に栃木県川治温泉の石島惟秀氏を選任。 |
昭 和 | |
63年 | 国際温泉気候連合(FITEC)の総会を京都で開催。温泉を通じての国際交流を果たす。 |
62年 | 榎本孝一会長が勇退し常任相談役に就任。大島良雄学術部委員長を第5代会長に選任。 |
61年 | アルジェリアで開催されたFITEC総会に初出席。大島良雄学術部委員長が同連合の副会長に就任。 |
60年 | 温泉に関する国際組織である国際温泉気候連合(英語名International Federation of Thermalism and Climatism仏語名Federation Internationale du Thermalisme et du Climatisme略称 FITEC)に加盟。 |
58年 | 衆議院議員羽田孜氏を顧問に推戴。 |
56年 | 「天然温泉表示マーク」の商標を取得。また大野市郎会長が勇退し名誉会長に就任。第4代会長に神奈川県箱根温泉の榎本孝一氏を選任。同年12月衆議院議員佐藤文生氏と参議院議員山本富雄氏を顧問に推戴。 |
51年 | 天然温泉表示制度を創設。 |
49年 | 石油ショックを契機に地熱発電が注目されはじめ、既存の温泉源に悪影響を及ぼすとの危惧により、本会は温泉資源保護の立場から反対運動を開始。 |
46年 | 環境庁が設置され、温泉行政が厚生省から同庁に移管。観光行政を司る運輸省とともに、本会の主務官庁が環境庁と運輸省となる。 |
42年 | 戦後の協会再建に努め今日の礎を築いた木暮武太夫会長が逝去。衆議院議員大野市郎氏を第3代会長に選任。 |
29年 | 国際観光会館内に事務局を移転。 |
24年 | 戦後第1回の総会を熱海温泉で開催し、第2代会長に衆議院議員などを歴任した伊香保温泉の木暮武太夫氏を選任。同時に全日本観光連盟から独立して専任職員を置き、再び活発な活動を開始する。 |
21年 | 全日本観光連盟の設立を機に、事務局を同連盟内に移転し、同職員が事務を担当した。同年12月一条公爵が会長を勇退。 |
20年 |
戦後、政令により官界人の外郭団体の役員就任が禁じられ、本会も民間団体に性格を変える。 戦後の省庁再編により厚生省と運輸省が主務官庁となる。事務局も戦災で消失し、再び日本交通公社内に移転。 |
13年 | 本部事務局を旧鉄道省庁舎内に移転。 |
10年 | 中国地方に支部を開設。これを西部支部と称し、従来の西部支部を九州支部と改称。翌11年に羽越信支部を開設し9支部となり、専任職員を置く。 |
8年 |
会長直属の学術部委員会を設置。学会各方面の権威者により、温泉の科学的研究と指導にあたる。 また業務拡大にともない事務局を日本交通公社内に移し公社員が事務を担当。 |
6年 | 逐次全国的に組織を拡大し、北海道、東北、関東、中部、関西、西部、満州の7支部を設け、支部長に各鉄道局長が就任。また支部所在県の衛生部長が各支部顧問または参与に就任。 |
6年 | 社団法人の認可取得。会長に貴族院議員一条実孝公爵、副会長には内務、鉄道両省の次官が就任。事務局を東京鉄道局旅客掛内においた。 |
5年 | 機関誌『温泉』を創刊。 |
4年 | 日本温泉協会設立。半官半民の団体として活動をはじめる。 |